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2007年04月15日

東京タワー

昼間、いいかげん見苦しいほど溜まった本を片付けようとブックオフに本を売るために段ボールに箱詰めしていたんだけど、売る本/残す本の選別をしながら、「こんな本買ってたっけ?」とかもういちど中身ちらちら読み出したりしてたらほとんど進まないってのは予想通り。

しかし、最近、風呂に入りながら本を読むことが多いので、売りたい本の何割かは水分を思いっきり吸収してぶよぶよ〜んとなってて、売り物にもならんなぁ。困った。

とか思いつつ、本の整理にも飽きたので多摩川沿いを海に向かってサイクリング。
まぁ、川崎の湾岸工場地帯に入ると道が無くなったり、休日は恐ろしいほど人も車も存在しなくて映画「回路」の終盤の“世界の終末”シーンのような光景がリアルに薄気味悪いので、海を見ることなく引き返した。

で、川崎のTOHOシネマで「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を鑑賞。
松尾スズキの脚本はかなり原作に近いテイストで奇をてらったところがないし、監督の松岡錠司も抑制の効いた演出で、原作の泣かせどころも泣かせるギリギリのところでとどまっていいたり(でも最後はぐっときます)、個人的には好感の持てる感じでした。

原作では表現できない映像特有の表現として、オカンとオトンがマー君のラジオを聞いた時の回想シーンも良かったし、CMでも流れているオダギリジョーと樹木希林が手をつないで横断歩道を渡るシーン(公式サイトのトップの画像でもありますが)は、この画がこの映画を凝縮しているように感じられるほど強く印象に残りました。

しかし、何より一番すごいと思ったのは、オカン役の樹木希林。
演技力なのか、本人も数年前にガン闘病を経験したからなのか、「オカン」そのものとしか言いようがないたたずまいでした。マー君のオカンの役を超えて、すべての人の「オカン」であるかのような。(ちょっと誇張し過ぎではありますが)

それと対照的に、オダギリジョーや、若い頃のオカン役の内田也哉子やオトン役の小林薫の自然な感じが際立って、とても良かったです。
(以前フジテレビでやってた大泉洋のドラマ版は、ボロ泣き演技とか全体的にトゥーマッチな演技で、リリーさんのたたずまいを知っている視聴者はかなり違和感感じたかも。)
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今日の「やりすぎコージー」の『今田耕司バンク徹底追及!』〜大橋アナの『私フジテレビに憧れてました…』の流れ、めちゃめちゃおもしろかった! と同時に、あらためて今田と東野の底力を見た気がしました。
(概要は、ここの2007年4月14日を参照)

ワールドプロレスリング。棚橋と永田のIWGP戦を中心に1時間スペシャル。
永田さん、鈴木みのる戦で見せた「キラー永田」としての凄みというか底力(顔面芸としての)は見せられず。ま、相手が技の重みが感じられない棚橋だから仕方ないけど。

2005年11月05日

土曜日の夜

土曜日の夜といっても別に特別なことはなんもなくて、川崎に出て
・ユニクロで冬物の服とか手袋を買ったり
・ヨドバシで、iPod nano のカバー買った。PDairとかいうアルミ製のケース。

あと、チネチッタでテリー・ギリアムの「ブラザーズ・グリム」観た。
一言で感想を言うと、「う〜む、普通。」中世のゴシックなファンタジーとして、なんかふつー、って感想しか無いです。

テリー・ギリアムといえば、同じくファンタジーの世界を描いた「バンデットQ」や「バロン」のようにイマジネーション溢れまくりの映像と、かなりブラックで皮肉な語り口を期待していたのに。

映像は今ではCG使うと簡単なんだろうけど、「バンデットQ」や「バロン」ではアニメーションや光学合成だけで一つ一つのシーンwp丁寧に作り上げていたのは今考えると驚きでしかないな。

「バンデットQ」はいきなり寝室の壁から白馬がどーん!と出てくるシーンで驚き、その後時空を超えた様々なシーンの全てにイマジネーションが狂ったように溢れ出て来て最高だし、「バロン」はロビン・ウィリアムスの顔が宇宙空間でくるくる回るシーンだけでも頭がクラクラします(しかもこのシーンかなり下品で笑える)。

それぞれのシーンが手作り感あふれる特撮で、一枚の絵画のようにすごく綺麗でその豪華絢爛さにはあきれかえるしか無いです。
(まぁ、そのためあまりに巨額の制作費がかかりすぎて、おまけに映画史に残る大コケしたために、その後当分映画作れなかったみたいだけど)

「ロスト・イン・ラマンチャ」同じ壮大なファンタジーとして製作していたけがクランクイン6日目にしてぽしゃった「ドン・キホーテを殺した男」が無事製作されていたら、どんなに素敵なファンタジーになっていたんだろうか、と思わずにはいられないけど、もはやテリー・ギリアムにはかつてのような才気あふれる映像は作れないのかもしれないし、ぽしゃって良かったのかも。

そう思うと、かつての天才ギリアムの作品「バンデットQ」「バロン」をもう一度見直してみたいと激しく思った。

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(言うまでもないけど、「未来世紀ブラジル」も大傑作でおすすめです)

2005年07月01日

宇宙戦争

仕事早めに終わったので、「宇宙戦争」観た。
正直、ん〜、どうなんでしょ。

「宇宙戦争」とはいえ、宇宙は出てこないしねぇ。英語タイトルの「War of the worlds」の方がイメージに合ってるような気がします。基本的には、突然異星人が地球を攻撃して人類はパニック!という「ゴジラ」「ガメラ」「インディペンデンス・デイ」系の映画なんですが、それらと比べると、確かに壮大なスケールと迫力のある映像はすごいと思うのですが…

脚本があれでええんやろか。
トムクルーズ扮するダメな父親の意思というか意図がよくわからないままエンディングに向かうのが、いまいちノれなかった原因かも。
「ゴジラ」「ガメラ」「インディペンデンス・デイ」系の映画だと、単なる脅威として描くだけではなく、立ち向かう姿に注力して描かれているけど、「宇宙戦争」は人類は彼らに攻撃されるがままな描写しかないんですよ。ましてや、人類を攻撃する相手のことを知ろうとも分析しようともせず、ただひたすら未知の存在が理由も無く攻撃してきてパニック!という感じでしか描いていないのが、9.11テロ直後のアメリカの反応と個人的には重なります。9.11テロに巻き込まれて憔悴しきっている人々や、がれきの山の現場の映像とそっくりなんですよね。

これだと、「プライベートライアン」の時みたいに「スピルバーグはストーリーはどうでも良くて単にパニック&残虐シーンを描きたいだけかい!」(ちょっと極論気味)ってまた言われてしまうような気がしますな。

原作に忠実に作っただけなのかもしれないけど、あまりカタルシスを感じさせる話ではないなぁ。まぁ、僕は原作読んでないのでなんとも言えないですね。

しかし、宇宙からの侵略者と人類の戦い、という意味では、「スターシップ・トゥルーパーズ」の方が個人的には圧倒的に好きですね。あと、異星人がさんざん地球を攻撃しながら最後にああなるのは「マーズ・アタック!」ぐらい脱力やなぁ。当然、「マーズ・アタック!」はコメディなので脱力で200%OKなんやけどね。

何より、個人的には「ゴジラ」一作目の脚本は、未知の脅威とそれにパニックになる人々の描写と、立ち向かう人々の描写がバランスがとれていて、更に人類への警鐘にもなっている、と考えると良くできてたんやなぁ、と再認識。

2005年06月27日

つい、出来心でフォースの暗黒面に…

先々行公開で「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐」を観てきた。
まぁ、うまく話がつながって良かったね。という感じ。

この映画が「タイタニック」級に大ヒットして、誰もが観ることになった暁には、ちょっと都合が悪くなれば「あ、ごめん、フォースの暗黒面に堕ちてしまって、この前から頼まれてた◯◯の処理、忘れてた…」とか、「すいません、フォースの暗黒面の強力な力に支配されて寝坊してしまいました。午後から出社します…」といった言い訳が通用するのになぁ…。
…んなわけ無いよ!

2005年06月06日

ミリオンダラーベイビー

クリント・イーストウッドの映画「ミリオンダラーベイビー」を観た。
さすがにアカデミー賞4部門受賞したのもうなずける素晴らしい映画でした。

とはいえ、観終わった後の今も、釈然としないというかうまく頭の中で咀嚼できないまま心の中にずしりと何か重いものが残ったまま、という感じ。
この感じが何によるものか、ということを書き始めるとネタバレになってしまうので書けないのですが(というか、自分の中で整理できてないので書けない、の方が強いか)、この映画も、クリント・イーストウッドの映画に共通する「神の目から俯瞰した映画」だ、それもキリスト教的な「神」の視点やなぁ、と強く感じました。

前作の「ミスティックリバー」や「許されざる者」と同じように、クリント・イーストウッドの映画はいわゆる「善い人」が幸せになるというハリウッド的世界観とは違い、それぞれの登場人物の運命は既に決まったものであり、人はその運命を受け入れざるを得ない、ということを達観して描いているように思われます。
「ミリオンダラーベイビー」でも、ヒラリー・スワンク演じる貧困層育ちの女子ボクサ−は、努力しチャンピオンを目指しながらも運命が大きく変わるんやけど、彼女には何の落ち度も無く、運命を受け入れるのみであり、クリント・イーストウッド演じる老トレーナーも過去の過ちを悔やみ続けているのだが、その過ちも当然の仕事をしただけなのに長い間悔やむことととなり、また後悔となることを繰り返すことになるんやけど、別に過ちをおかしたわけでもない。
ラストの彼らの選択が、正しいものだったのか、過ちであったのかは、映画では描かれていないし、僕にもわからない。
貴乃花親方の髪型のステキなウェーブぐらい、「???」が頭の中をぐるぐるふにゃふにゃ回ってます。

それが、カトリック的教義に添ったものなのか、逆に教義に相反するものなのか、ということがキリスト教の知識が全くない僕にはわからないという点で、クリント・イーストウッドの映画は永久に理解できないのかもしれません。

(すごい抽象的になってしまってすんません。)

この僕の釈然としない考えをはるかに明確に書いている町山さんのblogを引用して終わることにします。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050215

2005年03月13日

MJ的映画祭

みうらじゅん的映画祭
みうらじゅんが選ぶ「勝手なお世話の映画祭」らしい。
かなり無責任で素敵なセレクションですね。僕は、この中では藤田敏八の2本しか見たこと無いです。

しかし、上映前に本人の前説ビデオ上映付きってのがナイス。「ユルユル解説」ってことは、またいつものように、どうでもいいことをコメントしてるんやろな。
しかし、それが作品の本質を表していることが多いから不思議なんだよね。みうらじゅん。
「シベリア超特急」は今となっては「シベ超」でしかないし、「北京原人 Who are you?」は「ペキフー」という略称が本質をずばり突いているし。
(よく考えると、副題の「Who are you?」って何の意味が?この副題を考えた東映の広報の人はみうらじゅんを越えているかも!まさか、みうらじゅんに「ぺキフー」と略されてキュートでまぬけでキャッチーになることを予見していた?)

このレイトショーが行われる渋谷ユーロスペースでは、3/12(土)からは「天然のカオス、大森南朋」、大森南朋の特集という激シブなレイトショーやってますね。『夢なら醒めて……』っていう作品観てみたい気もするが、行けないなぁ。

2005年02月06日

伊勢佐木町のブルース

今日の「アド街っく天国」のテーマは「伊勢佐木町」だったのですが、僕にとっての伊勢佐木町といえば、圧倒的に横浜に日劇とシネマジャック&ベティなわけなんですが、
◆横浜日劇:名物映画館が来月閉館 シネコンに客奪われ◆(毎日新聞)
閉館ですかぁ。
もはや数少ない映画館らしさを残した映画館で好きだったんだけどなぁ。以前横浜市に住んでた時は、日劇もジャックもベティも良質な映画の2本立てを安価で観れて大好きだったのに。開演時刻近くになると、外の通りまで「チリリリリリリリー!」とけたたましいベルが鳴り響いて、映画始まる感あふれててなんとなくわくわくしたり。
なんだか悲しいねぇ。

しかし、上映スケジュール見たら、閉館というのに特別なプログラムじゃなくて普通に『キャットウーマン』『沈黙の聖戦』『スカイキャプテン』の3本立てで終わるんやね。最後はゆかりの深い『濱マイク』シリーズ3本立てとかでお祭りのように終わればいいものを。経営側は、そんな面倒な事はやらず一刻も早く閉館したいんやろか。

ちょうど一年前にも、独特のカルト(マニアックを越えたカルト!)なセレクションの邦画を上映してくれて本当に大好きだった「自由が丘武蔵野館」も閉館してしまったのを少し思い出した。
確かに、閉館に追い込まれる二次上映館や名画座は、最近のシネコンに比べれば椅子や音響などの設備も劣るし快適さでは比べようもないとは思うんだけど、単に設備だけの差ではなく、最近は新作以外の映画はビデオかDVDで見ることが簡単になったので、人を集めることが難しくなったんだろうね。

しかし、僕はやっぱりスクリーンで観る方が好きだし、ビデオ化されていなかったりレンタル屋に置いてない映画だって観たい。特に、モノクロ映画の白と黒のコントラストの美しさはスクリーンで観なければ分からないと思うんだよね。旧作(特に邦画)を上映してくれる映画館が亡くなるのは本当に残念。

自由が丘のレイトショーで、宍戸錠やその他日活映画のキザで今観ると陳腐な無国籍感溢れる映画を楽しんだし、鈴木清順が40年前から色彩感覚とハッタリ感が最高だったこと、千葉ちゃんの荒唐無稽なカラテ映画にシビれ、「石井輝男」「岸田今日子」「成田三樹夫」等のマニアックな特集は新発見の連続で(閉館に向けてラストスパートは「三谷昇」特集ってマニアック過ぎ)、自由が丘といえばお決まりの「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」や「幻の湖」といったもはや笑うしか無いカルト映画…などが観れて良かった。

…とか書いてて思ったが、↑に挙げた映画を好んで観る人って、日本でも極わずかだろうから、そんな人相手に商売するのは慈善事業みたいなもんで、経済原理から言うと消えて行くのは当然やな。

やっぱり廃盤になってしまって簡単に触れることのできなくなった映画、音楽のデジタルアーカイブを充実させてオンデマンドで安価にアクセスできるようになれば良いんだが。
(と、ありきたりで安易な結論にしておく。著作権やコストのクリアすべき問題は、ここで議論しても仕方が無いので省略)

2005年01月26日

パッチギ!

今週公開が始まった井筒監督の「パッチギ!」を観た。
単純に面白い!。
60年代の京都を舞台に日本人の高校生と在日の人々の青春群像劇で「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」といった作品と同じく、生き生きとした悪ガキ(この言葉しか言いようが無い)の喧嘩シーンやその合間の脱力ギャグのシーンからなる映画が好きな人にとってはかなり楽しめる作品だと思う。

この映画は、モチーフとなっている曲「イムジン河」が示す通り、北と南に分断された朝鮮の悲しみと、日本に住む在日の差別という問題がテーマとなっているんだけど、いささか井筒さんの思想が押し付けがましいというか、説教くさいセリフが多過ぎて個人的には少しうんざりする。その思想というのも、葬式のシーンが顕著なんだけど、自虐的というか在日の人の歴史観というか差別される側による思想しか主張されておらず、日本人としては黙らざるを得ないような映画になっているように思う(映画の中の主人公も、在日のおじいさんにほとんど何も言えないし)。

確かに、日本に一方的に占領され、有無を言わせず連行されて過酷な労働をさせられ、太平洋戦争が終わっても祖国は南北に分断されて帰る場所を失ったまま日本に暮らし差別を受けながら暮らす者の歴史と悲しさについて、この映画では、朝鮮人側の視点、セリフばかりでそれに対する日本人からの理解の在り方が何も描かれていないように思われる。

井筒さんは「虎ノ門」でも「最近の若いもんは、韓流と浮かれてるけど、朝鮮人の歴史っちゅうものを全く知らんから教えてやらなあかん」と言ってたけど、この映画、ほんと時代の流れの説明しかしてないよ!(それも説明的なセリフで!)

主人公が「イムジン河」を唄う事や赤ん坊が生まれることで、在日の人々との間の理解の溝があっさり理解したように描くのは安直のような気もするね。

この、主人公が「イムジン河」を唄うシーンと同時進行するシーンを切り替えながら描く一番感動的なシーンって、井筒さん自身「のど自慢」で使った演出と同じで、手癖をちょこちょこっと使った、って感じだし、高校生同士の喧嘩のシーンは「ガキ帝国」「岸和田」で手慣れた感じをそのまま、という感じだし。演出的にはもう新しいものを生み出せないのかも。

井筒さん自身「この映画作って、全てを出し尽くしたわ。もう2、3年何も出てこえへん。作品作れへん。」と語っていたが、個人的には、もっと踏み込んで在日の人と日本人との間の理解に関する映画を作って欲しいところ。このままじゃ、「ヨン様、韓流と浮かれてるけど、ほんまの歴史はこうなんじゃ」と小言を言うだけの、飲み屋の説教オヤジと変わらんよ。
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と、偉そうなことを言ってみたんだけど、僕自身、在日の問題に関してはもやもやしたままなので、明快なビジョンを出して欲しいと思っているのです。
生まれが関西だと、小さい頃にはこの映画に描かれたような、河の向こうには在日の人が住んでいて、街や電車で在日の学校の人とすれ違うときはちょとびびって目を合わせないように、とかの世界が普通に存在していたんだけど、結局は「なんとなく怖いなぁ」「なんとなく関わったらあかんのやろな」といった漠然とながら毅然と存在する「タブー」という認識で自分の中で消化しきれないまま今に至っているが正直なところ。

昔の日本が行った行為、アジア諸国への侵攻や強制連行に対しての贖罪の意識ではないんだけど、「大東亜共栄圏を作るぞ」と言いながらアジア諸国へ進んで行ったことについて、東南アジアの国や韓国を旅行するようになって、考えるところがあるのです。
この正月、タイに言ってカンチャナブリにある映画「戦場にかける橋」の舞台になったクワイ河鉄橋に行ったんだけど、タイとビルマを結ぶ鉄道のこの鉄橋を作るだけで10万人近くの人が死んでるんだよね。映画では鉄橋建設に従事させられた連合軍捕虜側の視点が中心だけど、ここでは朝鮮から連行された数万人、東南アジア人も数万人亡くなっている、ということが鉄橋のたもとのレリーフに刻み込まれていました。

「あの頃の日本人は、遠く4500Kmも離れたこんな蒸し暑く過酷なジャングルまで来て、西へ西へと向かって何を求めていたのだろう」と悲しくて悲しくてとてもやりきれない気持ちになった。

この気持ちを整理できる日が来るんでしょうかね。

(「パッチギ!」の話からずいぶんかけ離れてしまいましたが、パッチギでもフォーク・クルセイダーズの「悲しくてやりきれない」が重要な曲として使われてたので、最後につながった、ということで。←無理矢理100%)

2004年10月13日

♪ジャズやるべ

「スウィングガールズ」面白い!
「ウォーターボーイズ」よりもテンポがよくて、女の子たちの山形弁も雰囲気が良くて、いつもの矢口監督のようにご都合主義な展開で楽しい映画でございました。最後のジャズの演奏のシーンも確かに良いのですが、「マトリックスもどき」のシーンがかなり良いっす。
あと、竹中直人の過剰演技個人プレーに頼っていなかった点も良かったかも(近年の邦画、竹中直人の過剰演技に頼利過ぎ。「ファンシィダンス」や「Shall we ダンス?」ぐらいまではなんとか許せるんだけど。)

でも、やっぱり矢口監督だと、「裸足のピクニック」「ひみつの花園」のバカバカしさ炸裂する映画の方が好き。
邦画って、ちょっと小難しい作家性(井筒カントクに言わせれば「作家の自慰行為だよ」らしいが)を出した映画が多いけど(僕はこの手の映画も嫌いではないけど)、「裸足のピクニック」「ひみつの花園」みたいにひたすら能天気に楽しめる映画も良いよなぁ。

で、絶対に批判的な紹介をしない「ぴあ」とか「東京ウォーカー」でさえ、「いまいち」「演技も映像も稚拙」と書かれてしまう「デビルマン」ってどうなのよ?
怖いもの見たさで見たくなって来たかもー。 ♪誰も知らない 知られちゃいけない〜 ってな出来なんやろね。
(「ちょー感動しましたー」「デビルマンさいこー!」みたいな最近お決まりの(ちょっと頭からっぽに見えてしまう)観客CM、デビルマンでもやるんやろか)

2004年08月28日

孤独な戦い「華氏911」

最近の娯楽といえば、先週末の休日に「華氏911」を見たぐらいやなぁ。

前日の「虎ノ門」で井筒カントクが「特に新しい映像も情報もなく単に映像をつなぎ合わせただけで、なんのメッセージもないやん。NHKのドキュメンタリーの方がええもん作るよ」と吠えていたけど、同意する点もあれば、最近の井筒さんにありがちな「すでにズレた感性」のコメントやなと思う点もあるね。

井筒さんは既に映画監督としての感性がズレまくってる。本人の作りたい映画像と出来上がった作品がズレているし、作品も彼のメッセージも、観客の求めているものともズレているように思われる。「ガキ帝国」とか「岸和田少年愚連隊」は完成度が高くないんだけど、観客に訴えるパワーがスクリーンから溢れ出てくるのに、最近の映画は全くそれがないし。まぁ、溢れ出るパワーも井筒監督の力量じゃなくて、俳優が放つパワーだったのかもしれないけどね。

とはいえ、井筒さんの言う通り、「華氏911」からは、ひたすら「こんなにブッシュはバカですよ。こんな人が合衆国大統領で、サウジ人がテロを起こしたのにそのサウジと自分の利権のために仲良くしてるんですよ〜。こんな人を大統領にしておいていいの?」ってなメッセージしか訴えてないように思われるね。

僕自身、マイケル・ムーアの著書「おい、ブッシュ、世界を返せ!」を既に読んでいたので、内容としては事前に知っていたんだけど、文章で読むのに比べ、やっぱり映像で見せられるとその訴求力は圧倒的。確かにドキュメンタリー作品としては、安直なブッシュ批判一辺倒だけど、サウジ!ビンラディン!サダム!サダム!やっぱりブッシュはバカだ!と話題があちこちに飛んで行って散漫な印象なんだけど、連続した映像として2時間見ると、人によりその感じ方は違うやろうけど、それぞれの観客に何か思うところを残すことができると思う。
特に、アメリカでは一連のイラク侵攻の報道がガチガチの保守フィルタがかかっていて、戦死したアメリカ人やバグダッドの市民が傷ついている映像が全く報道されていないらしく、この映画のメッセージや作品の出来がどうであれ、アメリカ人がこの映像を見れたことことが「華氏911」の最大の価値だと思う。
マイケル・ムーアはアメリカ国家やマスコミに対して孤独な戦いを行っているという点で、マイケル・ムーアを評価したいと思います。

しかし、個人的には、いくら「ブッシュがこんなに悪い」と訴えられても、最近の米国大統領選挙の活動の報道を見てると、ケリーもそんなに変わらんのとちゃうかなぁ、民主党になってもあんまり変わらんやろなぁ。としか思えず、なんか陰鬱な気分になった。これは、日本でもおんなじだよねぇ。日本の民主党が政権取っても、世の中(政治的にも経済的にも日本の風土そのものも)変わるとは思えないしねぇ。

そう考えると、ムーアがいくら確固たるポリシーを持ってブッシュをおちょくっても、評論家たちに「単なるムーアの自己満足に過ぎないよ」と訳知り顔の言われても仕方が無いのかもな。
個人的には、訳知り顔で「それは単なる○○だよ」と言うだけの人ではなく、浅はかと言われても自分の考えをはっきり言える人でありたいもんやね。

2004年08月10日

マッハ!!!!!

仕事がなかなか乗らなかったので20時に仕事を切り上げて川崎に出て「マッハ!!!!!!」を鑑賞。
「CG無し。ワイヤーアクション無し。早回し無し」を売りにしてるだけあって、主演のトニー・ジャーの動きはとてつもなく速く鋭くしなやかで力強い。アクションシーンの見せ方や構成はジャッキーチェン等のカンフー映画を参考にしているように思われるが、キメ技はヒジにこだわっているのがムエタイらしいところか。
アクションだけを見ると、全盛期のジャッキーよりもすごいと思わせるところはいくつもあって、アクションの攻撃のつなぎがスムーズで身体の動きに無駄が無い。さらにムエタイのキックの特徴は軸足で回転しながらキックするんだけど、トニー・ジャーのキックは、蹴り足で蹴った後、我々の予想を越えて更にもうひとひねり、もう一回転して軸足で蹴るアクションがすごい!

しかし、アクションはすごいけど、主役の表情とかの印象は薄いなぁ。アクションシーンはすごいけど、常にテンションの高いシーンが続いて、ユーモアがないところが個人的にはちょっと辛い部分でもあるね。
ジャッキーチェンや千葉ちゃんの映画はアクションシーンの中にもユーモアがあって(千葉ちゃんの「直撃地獄拳!大逆転」なんかは悪ふざけ過ぎだったりするのだが)、映画にグルーブを醸し出しているので好きなんだけど、この映画は僕の苦手なブルース・リーの映画っぽいね。

ま、話としてはたわいない、盗まれた仏像を取り戻すだけで、頭空っぽでも見れますのでご心配なく。>未見の人。
あと、今回僕は吹き替え版で見たんだけど、ぜひ字幕版で見た方が良いと思います。
タイ語の甲高い「ポコポコポロポロ…」と(僕には)聴こえるあの感じじゃないとなぁ。きっとシリアスなシーンでもまぬけなんやろなぁ。

ん〜、しかし、主人公の印象あんまり残ってないなぁ。脇役の「ちょっとふくよかなニカウさん」っぽい同郷の仲間と「必要以上に顔がクッキリの女の子」がドラマを進めて行くので、この二人の方が印象に残ってたりして(苦笑)

ん?最近、同じような印象の映画を観たような気がするが、思い出せないなぁ。主人公のアクションだか存在感はすごいんだけど、いかんせん演技がアレなので、狂言回しの人の印象しかないような映画。
う〜、ここまで出かかってるのにぃ。(と喉のあたりを指差しながら悶絶)。

2004年06月30日

はじめから存在しなかった青春を想う

数日前、篠田昇さんが亡くなったそうだ。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0623/002.html
岩井俊二の「LoveLetter」「スワロウテイル」等の映画の撮影監督で、瑞々しい色彩とくっきりした画像なのになぜかソフトフォーカスがかかったような独特の映像を撮影してきた人で、個人的には岩井俊二の映画はさほど好きではなかったんだけど、映像はわりと好みだった。まだ52歳とは。
遺作(じゃないかもしれないが)となった「世界の中心で、愛をさけぶ」は、二週間ほど前に観ました。
「下妻物語」を観て、邦画にしては脚本の抜けが良くてなかなかの快作。特に土屋アンナの台詞がええなぁ、と思って心地よい気分でいたところ、すぐに「世界の中心で、愛をさけぶ」の上映時間であることを発見。現作読んでないんだけど、「お涙ちょうだいのぬるい映画なんじゃないの?」と完全になめてかかって観始めたんやが…

すんません。なめてました。

森山未來と長澤まさみ演ずる高校時代の回想シーンの恋愛物語が素晴らしい。脚本的にはよくある死に至る難病もののヒロインとの純愛物語なんだけど、この二人の演技(というよりたたずまいそのもの)がすごく良いんですよ。

この回想シーンで綴られる物語は、多くの人にとっては「あぁ、あんな時代があったなぁ」と思いを馳せるものなのかもしれないが、中高と男子校に通ってた僕としては、「初めから存在しない青春の風景」であり、自分の思い出とシンクロする訳でもなく、一種のファンタジーとして複雑な思いでスクリーンを観ていたのです。なので、物語に没入していた訳でもなく、共感していた訳でもないんだけど、この心に何かどんよりしたものが残る感じはなんなんだろう、と思いながらこのスクリーンをひたすら観察していたような気がします。
カセットテープから流れる長澤まさみの声、写真館で記念写真を撮るときの張り裂けそうな心を悟れらないようにくいしばる森山未來の表情、ヘッドホンをしている長澤まさみ、2代目Walkman、ラジオから流れる佐野元春「Someday」、ノスタルジックな町並み、若い二人の揺れる感情を表すかのような篠田昇の映像、その映像とともにノスタルジックな世界を立体化させる僕の好きな「めいなCo.」の劇伴音楽と、エンディングで流れる平井賢の「瞳をとじて」、、ココロのツボをぐーっと押されるポイントの数々に完全にやられた。

CMを見る限り、主演は大沢たかおと柴崎コウだと思っていたけど、この二人は全然主役じゃないし(というか、柴咲コウは全く必要ない)、姿を消した柴崎コウがテレビの台風中継になんで偶然映るねん!とか、大沢たかおが学校にどかどか侵入してるけどこの学校のセキュリティどないなっとんねん!等、ご都合主義的な突っ込みどころも多いのですが、そんなのはこの映画にとっては鼻くそみたいなもんで、この映画の感想といえば、長澤まさみ!長澤まさみ!長澤まさみ! 森山未來!長澤まさみ!と連呼すればそれでOK!ってな気分。

いや、「下妻物語」も良かったですよ。