今週公開が始まった井筒監督の「パッチギ!」を観た。
単純に面白い!。
60年代の京都を舞台に日本人の高校生と在日の人々の青春群像劇で「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」といった作品と同じく、生き生きとした悪ガキ(この言葉しか言いようが無い)の喧嘩シーンやその合間の脱力ギャグのシーンからなる映画が好きな人にとってはかなり楽しめる作品だと思う。
この映画は、モチーフとなっている曲「イムジン河」が示す通り、北と南に分断された朝鮮の悲しみと、日本に住む在日の差別という問題がテーマとなっているんだけど、いささか井筒さんの思想が押し付けがましいというか、説教くさいセリフが多過ぎて個人的には少しうんざりする。その思想というのも、葬式のシーンが顕著なんだけど、自虐的というか在日の人の歴史観というか差別される側による思想しか主張されておらず、日本人としては黙らざるを得ないような映画になっているように思う(映画の中の主人公も、在日のおじいさんにほとんど何も言えないし)。
確かに、日本に一方的に占領され、有無を言わせず連行されて過酷な労働をさせられ、太平洋戦争が終わっても祖国は南北に分断されて帰る場所を失ったまま日本に暮らし差別を受けながら暮らす者の歴史と悲しさについて、この映画では、朝鮮人側の視点、セリフばかりでそれに対する日本人からの理解の在り方が何も描かれていないように思われる。
井筒さんは「虎ノ門」でも「最近の若いもんは、韓流と浮かれてるけど、朝鮮人の歴史っちゅうものを全く知らんから教えてやらなあかん」と言ってたけど、この映画、ほんと時代の流れの説明しかしてないよ!(それも説明的なセリフで!)
主人公が「イムジン河」を唄う事や赤ん坊が生まれることで、在日の人々との間の理解の溝があっさり理解したように描くのは安直のような気もするね。
この、主人公が「イムジン河」を唄うシーンと同時進行するシーンを切り替えながら描く一番感動的なシーンって、井筒さん自身「のど自慢」で使った演出と同じで、手癖をちょこちょこっと使った、って感じだし、高校生同士の喧嘩のシーンは「ガキ帝国」「岸和田」で手慣れた感じをそのまま、という感じだし。演出的にはもう新しいものを生み出せないのかも。
井筒さん自身「この映画作って、全てを出し尽くしたわ。もう2、3年何も出てこえへん。作品作れへん。」と語っていたが、個人的には、もっと踏み込んで在日の人と日本人との間の理解に関する映画を作って欲しいところ。このままじゃ、「ヨン様、韓流と浮かれてるけど、ほんまの歴史はこうなんじゃ」と小言を言うだけの、飲み屋の説教オヤジと変わらんよ。
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と、偉そうなことを言ってみたんだけど、僕自身、在日の問題に関してはもやもやしたままなので、明快なビジョンを出して欲しいと思っているのです。
生まれが関西だと、小さい頃にはこの映画に描かれたような、河の向こうには在日の人が住んでいて、街や電車で在日の学校の人とすれ違うときはちょとびびって目を合わせないように、とかの世界が普通に存在していたんだけど、結局は「なんとなく怖いなぁ」「なんとなく関わったらあかんのやろな」といった漠然とながら毅然と存在する「タブー」という認識で自分の中で消化しきれないまま今に至っているが正直なところ。
昔の日本が行った行為、アジア諸国への侵攻や強制連行に対しての贖罪の意識ではないんだけど、「大東亜共栄圏を作るぞ」と言いながらアジア諸国へ進んで行ったことについて、東南アジアの国や韓国を旅行するようになって、考えるところがあるのです。
この正月、タイに言ってカンチャナブリにある映画「戦場にかける橋」の舞台になったクワイ河鉄橋に行ったんだけど、タイとビルマを結ぶ鉄道のこの鉄橋を作るだけで10万人近くの人が死んでるんだよね。映画では鉄橋建設に従事させられた連合軍捕虜側の視点が中心だけど、ここでは朝鮮から連行された数万人、東南アジア人も数万人亡くなっている、ということが鉄橋のたもとのレリーフに刻み込まれていました。
「あの頃の日本人は、遠く4500Kmも離れたこんな蒸し暑く過酷なジャングルまで来て、西へ西へと向かって何を求めていたのだろう」と悲しくて悲しくてとてもやりきれない気持ちになった。
この気持ちを整理できる日が来るんでしょうかね。
(「パッチギ!」の話からずいぶんかけ離れてしまいましたが、パッチギでもフォーク・クルセイダーズの「悲しくてやりきれない」が重要な曲として使われてたので、最後につながった、ということで。←無理矢理100%)